普段自分が話している言葉に思いを巡らせていると、共通言語というものが気になりました。
金融業界と教育業界、冠婚葬祭業界とアパレル業界の共通言語が違うのは納得できるが、種類が同じでも共通言語が違うとはどういうことか?
私がまだ小学生だった頃は、誰もが知っているタレントや歌手が当然テレビに出ていた。老若男女問わず、誰でも知っていてその年の流行や流行歌を共通認識していました。
それぞれの立場や環境は違っても学校に行って、共通言語であるテレビの話をすれば通じ、打ち解けることもできたのです。つまり、その時の共通言語は?テレビから得られていました。
テレビを見ることで得る社会性とでも言えるかもしれないが、2024年現在テレビが与えてくれる共通言語はもはや存在していないのではないかと思う。
私自身の幼少期は、テレビ禁止だったわけではないですが、親の検閲があったのを覚えています。
見ていい番組と見てはいけない番組が明確に分けられ、新しい番組は親が吟味してから見せてもらっていました。年齢が上がるにつれて自己判断ができるようになると、制限が解除されることもありましたが、小さいころの習慣で大人になってからもあまり執着せずに過ごしてきたと思います。
そのおかげで、パリに住んでいた時もテレビなし生活を受け入れることができました。
自分が子育てをしてみて親に感謝することは多々ありますが、このテレビに関する姿勢はとってもありがたかったと思っています。
今や小学生の多くがテレビではなくゲームやYouTubeが与えてくれる共通言語で話しています。
それは、仕方のないことだと思う反面、家庭での共通言語は死守してほしいなと思ってしまいます。
数日前も、低学年の子達がスマホを持ち寄って井戸端会議のように過ごしていました。
是非の判断をしてほしいのではなく、その共通言語でつながる輪の中にいることがどうなのか?ということを考えてみてほしいと思います。
自分の子供が所属する場の共通言語は何なのか?に意識を向けると、見えてくる課題があるかもしれませんね。


